「芥川龍之介」「わたしは良心を持っていない。
わたしの持っているのは神経ばかりである。」の画像
良心なんていらない。研ぎ澄まされた神経が、僕の全てを語る。

わたしは良心を持っていない。 わたしの持っているのは神経ばかりである。

芥川龍之介

名言データ

0
いいね
0
コメント

この名言をシェア

この名言について

  • 意味の要約

    良心よりも感覚が鋭敏な自己の告白。

  • 背景・意図

    この言葉は、多くの人が心の中で感じている、ある種の葛藤を鮮やかに映し出しています。私たちは「こうあるべきだ」という良心や理性で物事を判断しようとしますが、実際には、ふとした感情や、周りの空気、些細な出来事に心が大きく揺さぶられることがありますよね。 芥川龍之介が言う「神経ばかり」とは、まさにそうした感受性の鋭さ、繊細さのこと。一般的な良心という枠組みでは捉えきれないほど、自分の内側でうごめく感覚や感情に、自分が突き動かされている状態を正直に告白しているのです。 これは、理性よりも感情や感覚が優位に立ち、それゆえに生きづらさや苦悩を感じる人の、普遍的な心の叫びとも言えるでしょう。自分の内面と向き合い、その複雑さを受け入れることの大切さを、この言葉はそっと教えてくれます。

  • 現代での活かし方

    もしあなたが、周りの期待や「こうあるべき」という考えに縛られそうになった時、 あるいは、自分の感情が理屈では説明できないほど揺れ動き、「なんでこんなに些細なことで悩むんだろう」と、自分の感受性の強さに戸惑う時。 この言葉をそっと思い出してみてください。 「良心がない」という言葉は、決して悪い意味ではなく、「自分の感覚に正直であること」を許すメッセージとして受け取ることができます。 自分の内なる「神経」が感じていることを否定せず、そっと受け止めてあげる。そうすることで、自分を責める気持ちが少し軽くなり、ありのままの自分を認められるようになるかもしれません。あなたの繊細さは、あなただけの個性であり、時にあなたを深く導く強みにもなり得るのですから。

  • 起源
    歴史上の発言

出典

コメント (0)

コメントはまだありません

この名言についての最初のコメントを投稿しましょう。

関連する名言

「ギ・ド・モーパッサン」「人生は山登りのようなものさ。 登っている間は人は頂上を見ている。 そして自分を幸せと感じるが、上に着いたが最後、たちまち下りが見える。 終わりが、死である終わりが、見える。」の画像
ギ・ド・モーパッサン

人生は山登りのようなものさ。 登っている間は人は頂上を見ている。 そして自分を幸せと感じるが、上に着いたが最後、たちまち下りが見える。 終わりが、死である終わりが、見える。

「Thomas Fuller」「金持ちの快楽は貧乏人の泪をもって購われている。」の画像
トーマス・フラー

金持ちの快楽は貧乏人の泪をもって購われている。

「オスカー・ワイルド」「他人の悲劇は、常にうんざりするほど月並みである。」の画像
オスカー・ワイルド

他人の悲劇は、常にうんざりするほど月並みである。

「ヘンリー・デイヴィッド・ソロー」「大多数の人間は、静かな絶望の生活を送っている。」の画像
ヘンリー・デイヴィッド・ソロー

大多数の人間は、静かな絶望の生活を送っている。

「アクセル・ムンテ」「死は孤独であるかもしれない。 しかし、生きているほど孤独であるはずがない。」の画像
アクセル・ムンテ

死は孤独であるかもしれない。 しかし、生きているほど孤独であるはずがない。

名言の登録申請
このページに関する名言が見つかりませんか?
あなたの知っている名言を登録申請して、コレクションを充実させましょう。
「わたしは良心を持っていない。 わたしの持っているのは神経ばかりである。」- 芥川龍之介の名言 | Buff Words