
誰にも理解されなくても、自分の道を信じ抜く強さ。
命もいらぬ、名もいらぬ、官位も金もいらぬというような人物は処理に困るものである。 このような手に負えない人物でなければ、困難を共にして、国家の大業を成し遂げることはできない。 しかし、このような人物は普通の人の眼では見抜くことができぬと言われるので、それでは孟子が「仁という広い家に住み、礼という正しい位置に立ち、義という大道を歩む。もし、志を得て用いられたら民と共にその道を行い、志を得ないで用いられなければ、独りでその道を実践する。そういう人は、どんな富や身分もこれを汚すことはできないし、貧しく身分が低いことによって心がくじけることもない。力をもってもこれを屈服させることはできない」と言っていますが、このような人物がいま仰せられたような人物のことでしょうかと尋ねると、その通りだ、真に道を行う人でなければ、そのような姿にはならないものだと答えられた。
西郷隆盛
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この名言について
- 意味の要約
私欲を捨て、信念を貫く人物の強さと、その重要性。
- 背景・意図
この言葉が私たちの心に響くのは、現代社会がとかく目先の利益や評価に囚われがちだからかもしれません。西郷隆盛が語る「命も名も金もいらぬ」という人物像は、表面的な欲求を超え、揺るぎない信念を貫くことの尊さを教えてくれます。 困難な時代を乗り越え、大きな目標を達成するためには、損得勘定で動かない、強い「軸」を持った人が不可欠です。孟子の言葉を引用しているのは、こうした人物像が単なる理想論ではなく、古くから人々が追い求めてきた普遍的な「人間のあるべき姿」であることを示しています。 私たちは、本当に信頼し、困難を共にしたいと願うのは、私欲に走らず、ただひたすら「正しい道」を歩もうとする人。この名言は、リーダーシップの本質だけでなく、私たち一人ひとりがどう生きるべきか、という大切な問いを投げかけているのです。
- 現代での活かし方
日々の生活の中で、私たちはつい目先の利益や周りの評価に心が揺らぎがちです。そんな時、この言葉をそっと思い出してみてください。 仕事で大きな決断を迫られた時、人間関係で誰を信じるべきか迷った時、あるいは自分自身の進むべき道が見えなくなった時。 「本当に大切なものは何か?」「自分は何を信じて行動したいのか?」と、心に問いかけてみる。 表面的なものに惑わされず、自分の内なる「信念」に耳を傾けることで、きっと迷いが晴れ、進むべき方向が見えてくるはずです。 この言葉は、あなたの心の羅針盤となり、困難な時も静かに背中を押してくれるでしょう。
- 起源歴史上の発言
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