無心さ、純粋さ、素直さなどは人の心を打つ。 その力は、こざかしい知恵をはるかに凌駕する。
戒めなければならないのは味方同士の猜疑である。 味方の中に知らず知らず敵を作ってしまう心なき業である。
何かを言いたいから書くのではない。 何か言うべきことがあるから書くのだ。
むかし景気のよかったものは復古を主張し、いま景気のよいものは現状維持を主張し、まだ景気のよくないものは革新を主張する。
偉大な小説は自分で筆をとる。 ひどい小説は作家が筆をとる。
大きな悲しみには勇気をもって立ち向かい、小さな悲しみには忍耐をもって立ち向かえ。 苦労して一日の仕事を終えたら安らかに眠れ。 あとは神が守ってくださる。
論理的になればなるほど、創造性は失われる。
良き物語はひねり出すものではない。 蒸留により生み出されるものだ。
魅力とは明瞭な質問をしなくてもイエスと言ってもらう方法である。
チェスと広告業は、いずれも同じくらい手の込んだ、人間の知性の無駄遣いだ。
為すべきことは熱を与えることではなく、光を与えることなのだ。
他人があなたのためにできることは、決して自分でしないこと。
カエルを二匹飲み込まねばいけないときは、大きい方から飲み込むこと。 それと、あまり長いあいだ見つめないことだ。
前進し続けられたのは、自分がやることを愛していたからだ。
大切なのは創造です。 人真似を脱し、新しいものをつくり出すところに、進歩が生まれる。
アマチュアは駒を動かしただけなんです。 「指した」ということとは別のことですよ。
時代は変わっても、人間を磨くのは目的に挑戦する苦労だということは変わりません。 いまの人も苦労はしてるが、それは物欲を満たす苦労で、自分独特、独創の苦労ではない。 どんな世界でも同じだと思う。 プロとアマの違いはアマは真似でも通用するが、プロの道は独創。 またそうでなきゃ通用しない。 だから苦しいが喜びも計り知れない。
全局のことでも、また局部、局部のことでも、その一手の差を慎重に、そして最善をつくす人が、「勝ち」にゆくわけで、一手ぐらいなどといって、気楽にしとるやつが、結局は敗北につながる。
せんじつめていえば、そのもっている欠点を長所にする。 これがプロの芸ということになるわけです。
棋士は無くてもいい商売だ。 だからプロはファンにとって面白い将棋を指す義務がある。