人生の成功とかなんて全く気にしてなくて 生まれた時点で100点満点だと思っている どんなに貧乏になろうが苦しいことが起きようが生きてる時点で俺は「ラッキー」って思ってる 考えてみてよ もしだよ俺の父ちゃんがさ母ちゃんと出会う日に電車に乗り遅れたり、そこに行かなかったり何かのきっかけで出会いを無くしてた もしくはうちの母ちゃんと出会う前に運命の人に出会っちゃってたらそれだけでも俺じゃない訳じゃん? そんなミラクルみたいな奇跡から俺は生まれている訳じゃない? そんな風にして生まれたこの人生を 多少経済的だとか文化的に成功するかしないかで不幸だなんて思うように使ったら「もったいねえわな」 こうやって物が見えるこうやって物を触れる嗅げる聞ける食える排泄できる心臓はずっと動いている 社会での成功なんてものはどうでも良くて そんなことが人生のいちばん大事なものではない
「幸せって何だとお思いですか?」って皆さんに聞くと 「えっ? ”幸せ”は幸せでしょ」 分析したことがなくて、ただ漠然と「結婚します」「お幸せに」「幸せになってください」 幸せって一度手に入れると、固形物みたいにずっとなくならないものだと錯覚を起こしていらっしゃるの。 『青い鳥』っていうメーテルリンクの名作ありますね。あれは青い鳥は捕まえたら、消えていっちゃうんですよ。 幸せっていうのは ”充足感のこと” 満ち足りた想い。 だから幸せっていうものは長続きしないものなんですよ。 それをずっと手元に置いて長続きさせるにはどうしたら良いかって言うと、 感謝することを探せば良いんです。 感謝することに全部切り替えてゆけば、いつでもどこでも幸せになれる。 これが永久に続きますよ。 だから幸せを手元に置いてずっと「幸せでいられる」って言うのは 感謝すること それを探せば良いんです。
あまりしつこくつきまとわれる愛は、ときに面倒になる。 それでもありがたいとは思うがね。
神に感謝します。私は義務を果たしました。
人生を喜びなさい。 なぜなら、人生は、愛し、働き、遊び、星を見つめるチャンスを与えてくれたのだから。
亡くなった人を悼しむのは愚かだしまちがったことである。それよりもそのような人が生きていたことを神に感謝すべきだ。
死者にたいする最高の手向けは、悲しみではなく感謝だ。