夫と妻の、どちらに離婚の責任があったのか? どちらにもあったのだ。あるいは、どちらにも無かったのである。
人問は毅然として現実の運命に耐えていくべきだ。 そこに一切の真理がひそんでいる。
結婚の幸福は、まったく運次第ですもの。 お互いに気心がわかっていても、 前もって似ていても、そんなことで幸せが増すというわけのものじゃないわ。
財産は来るもので、作るものではない。
人間的に言えば死にもよいところがある。 老いに決着をつけねばならないからだ。
今年死ぬ者は、来年は死なずに済む。
誰でも死ななくちゃいけない。 でも私はいつも自分は例外だと信じていた。 なのに、なんてこった。
だって治療にはとても金がかかるよ。 だから、どうせ死ぬと決まっているなら、その金を蓄えておくほうがよい。
眠い人が眠るように、 瀕死の人は死を必要としているのです。 抵抗が間違いで無駄だというときが、いずれきますよ。
墓場は、一番安上がりの宿屋である。
私は生きているときに、死以外のあらゆるものに対して備えをしていた。 今、私は死なねばならぬ。そして、まだなんの備えもない。
私が死んだとき、一匹の蝿がうなるのを聞いた。 部屋の中の静寂は、嵐の高まりの間の大気の静寂のようだった。
愛されているという驚きほど、神秘的な驚きはない。 それは人間の肩に置かれた神の指だ。
墓の下に眠っている人々を羨まなければならないとは、何という情けない時代だろう。
運命は我々の行為の半分を支配し、 他の半分を我々自身にゆだねる。
埃は羽より軽く、風は埃より軽く、女は風より軽い。
恋愛の市場株価に、安定株は無い。
女と車の運転は似ている。いずれは衝突する。