あなたはさっきから、乙姫の居所を前方にばかり求めていらっしゃる。 ここにあなたの重大なる誤謬が存在していたわけだ。 なぜ、あなたは頭上を見ないのです。 また、脚下を見ないのです。
怒涛に飛び込む思いで愛の言葉を叫ぶところに、愛の実体があるのだ。
人間のプライドの究極の立脚点は、あれにも、これにも死ぬほど苦しんだ事があります、と言い切れる自覚ではないか。
学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。 けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。 これだ。 これが貴いのだ。 勉強しなければいかん。
弱虫は、幸福をさえおそれるものです。 綿で怪我するんです。 幸福に傷つけられる事もあるんです。
君のような秀才にはわかるまいが、「自分の生きていることが、人に迷惑をかける。僕は余計者だ」という意識ほどつらい思いは世の中に無い。
私は、ひとの恋愛談を聞く事は、あまり好きでない。 恋愛談には、かならず、どこかに言い繕いがあるからである。
疑いながら、ためしに右へ曲るのも、信じて断乎として右へ曲るのも、その運命は同じ事です。 どっちにしたって引き返すことは出来ないんだ。
一日一日を、たっぷりと生きて行くより他は無い。 明日のことを思い煩うな。 明日は明日みずから思い煩わん。 きょう一日を、よろこび、努め、人には優しくして暮したい。
人間は、しばしば希望にあざむかれるが、しかし、また、「絶望」という観念にも同様にあざむかれる事がある。
私はなんにも知りません。 しかし、伸びて行く方向に陽が当たるようです。
人間三百六十五日、何の心配も無い日が、一日、いや半日あったら、それは仕合せな人間です。
恋愛は、チャンスではないと思う。 私はそれを意志だと思う。
人生はチャンスだ。結婚もチャンスだ。恋愛もチャンスだと、 したり顔して教える苦労人が多いけれども、私はそうではないと思う。 私は別段、例の唯物論的弁証法に媚びるわけではないが、 少なくとも恋愛は、チャンスではないと思う。私はそれを意思だと思う。
とにかくね、生きているのだからインチキをやっているのに違いないのさ。
愛は、この世に存在する。 きっと、ある。見つからぬのは愛の表現である。その作法である。
僕は自分がなぜ生きていなければならないのか、 それが全然わからないのです。
幸福の便りというものは、待っている時には決して来ないものだ。
死のうと思っていた。 今年の正月、よそから着物一反もらった。 お年玉としてである。着物の布地は麻であった。 鼠色の細かい縞目が織り込まれていた。これは夏に着る着物であろう。 夏まで生きていようと思った。
恋愛とはなにか。私は言う。それは非常に恥ずかしいものである。
日本の文学史に鮮烈な足跡を残した小説家、太宰治(1909-1948)。わずか39年の生涯ながら、数々の傑作を世に送り出し、その名は今も多くの人々の心に深く刻まれています。彼は、人間の内面に潜む弱さや葛藤、そして生と死の淵をさまよう魂の叫びを、時にユーモラスに、時に痛切な筆致で描き出しました。その繊細で破滅的な美学は、時代を超えて現代にも通じる普遍的な問いを投げかけ、読む者の心を捉えて離しません。彼の紡いだ言葉の数々から、あなたもきっと、忘れられない名言を見つけるでしょう。