他人を自分に同調させようなどと望むのは、そもそも馬鹿げた話だよ。
心の底から平気で、出世なんかしなくていいと思っていれば、遠くの方でちぢこまっている犬のようにはみえないんだ。
私の音楽を分析するな、愛せよ!
各人はその考え次第で幸福にもなり、不幸にもなる。 他人が見てそう思う人ではなく、自分でそう思う人が幸福なのである。
自然界は、常にあなたを許しています。 指に火傷をしても、自然に傷が回復します。 なぜ、あなたは自分自身を許して自由にならないのでしょうか?
私は苦労はいとわぬ。 辛抱もする。 だが、それは自分に気の向いたことをするときだけだ。
普通と言われる人生を送る人間なんて、一人としていやしない。 いたらお目にかかりたいものだ。
わたしは解放者ではないし、そんなものは存在しない。 人は自らを解放するのだ。
飲め!
自分のたいしたこともない考えに終止符を打ったところで、誰も困りはしない。
自分の内なるものも外なるものも、見ているものを変える必要はない。 ただ見方を変えればいいのだ。
人生において我々が囚われている鎖は、我々が生み出したものに他ならない。
善悪、大小、かねの有る無し、社会的な地位の上下などという、人間の作った相対的な価値観を一切やめてみることです。
すべての答えは出ている。 どう生きるかということを除いて。
もし、私の持っているものが私を意味するなら、また、私が持っているものを失ってしまったら、私は誰なんだろう?
人生はいたって単純。 競争なんて本当は存在しないし、勝たなきゃいけないレースもない。
蝶はモグラではない。 でも、そのことを残念がる蝶はいないだろう。
人間が自分で意味を与えないかぎり、人生には意味がない。
もし、過ちを犯す自由がないのならば、自由を持つ価値はない。
知識は束縛からの解放であり、無知は奴隷だ。