神が存在しないならば私が神である。
人間の目的は生まれた本人が、本人自身のためにつくったものでなければならない。
他人があなたのためにできることは、決して自分でしないこと。
何と多くの人が財布の中身を考え、他人の思惑を考え、家庭を考えて、つまらない人生に甘んじてしまうことか。 くよくよ考える人間は、はじめから運に見放されており、勇気なんて滑稽にしか思えず、才能があっても活用されずに終わるのだろう。 挙げ句のはては、不平不満の虜になるのがオチである。
僕の後ろを歩かないでくれ。 僕は導かないかもしれない。 僕の前を歩かないでくれ。 僕はついていかないかもしれない。 ただ僕と一緒に歩いて、友達でいてほしい。
男はしばしば一人になりたいと思う。 女も一人になりたいと思う。 そしてその二人が愛し合っているときは、そういう思いを互いに嫉妬するものだ。
心の底からやりたいと思わないなら、やめておけ。
真実をしゃべるなら、何も覚えておかなくていい。
自分が多数派の側にいると気づいたら、もう意見を変えてもいいころだ。
大衆とはすばらしく寛容だ。 天才以外のすべてを許す。
定義するということは限定することだ。
一貫性というのは、想像力を欠いた人間の最後のよりどころである。
現実を現実として、あるがままに受け入れなさい。 物事をそれが進みたいように、自然に前に流れさせてやりなさい。
僕らはとても不完全な存在だし、何から何まで要領よくうまくやることなんて不可能だ。 不得意な人には不得意な人のスタイルがあるべきなのだ。
孤独好きな性格を守るのに、誰にも迷惑をかけてないはずだという論理は逃げである。 孤独は闘い取るものだ。 闘い取られていない孤独は、いつか人の心を蝕む。
人生には選ばなければならない瞬間がある。 自分自身の人生を充分に、完全に、徹底的に生きるか、社会が偽善から要求する偽の、浅薄な、堕落した人生をだらだらと続けるかの、どちらかを。
貧乏に対する恐怖に人生を支配させてしまえば、その報酬として食べていくことができるだろう。 しかし生きることはできなくなる。
幸せかどうかは、自分次第である。
俺はお前の期待に応えるためにこの世にいるわけではない。 そしてお前も俺の期待に応えるために生きているのではない。
大切なのは自分が望んだように生きること。 そして、それを続けること。 お金があっても不幸な人生をおくるより、ずっと満足できるはず。