私は最初、12歳のときに紡績工場の糸巻き小僧に雇われた。 そのとき私が決心したのは、よし、世界一の糸巻き小僧になってやれ、ということだった。
わたしたちは自信過剰にならないように一生懸命努力した。 なぜなら、うぬぼれているときには、何かが嚙みついてくるからね。
数ある同僚の中からぬきんでて偉くなる人は、結局、偉くなるべき資格をもっているんです。 その資格とは、「誰にも言われなくても、日々毎日、実際に努力している」ことなんです。
最高のものを求める強い気持ちがないと、結果は出ないものなんだよ。
俺はトレーニングが大嫌いだった。 でも、自分にこう言い聞かせたんだ。 「絶対にあきらめるな。今は耐えろ。そして残りの人生をチャンピオンとして生きろ」
スランプなんて気の迷い。 ふだんやるべきことを精一杯やって、土台さえしっかりしていれば、スランプなんてありえない。 ぼくはいつも、「オレは絶対打てる」という気持ちでボックスに立っていますよ。
怠慢は魅力的に見えるけど、満足感を与えてくれるのは働くこと。
百年兵を養うは、ただ平和を守るためである。
苦しいこともあるだろう。 言いたいこともあるだろう。 不満なこともあるだろう。 腹の立つこともあるだろう。 泣きたいこともあるだろう。 これらをじっとこらえて行くのが男の修行である。
人は誰でも負い目を持っている。 それを克服しようとして進歩するものなのだ。
身を捨てても名利は捨てず。
打ち込む態勢をつくるのが先で、剣はそれに従うものだ。
猿・日吉丸・藤吉郎・秀吉・大閤、これも又皆がいやがるところでの我慢があったればこそ。
一歩一歩、着実に積み重ねていけば、予想以上の結果が得られる。
人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくがごとし。 急ぐべからず。
生まれながらに才能のある者は、それを頼んで鍛錬を怠る、自惚れる。 しかし、生まれつきの才能がない者は、何とか技術を身につけようと日々努力する。 心構えがまるで違う。 これが大事だ。
その人がどれだけの人かは、人生に日が当たってない時にどのように過ごしているかで図れる。 日が当たっている時は、何をやってもうまくいく。
「朝に人としての道を悟ることができれば、その晩に死んでも悔いはない」という事こそが人の道である。 人としての努力をすることもなく、ただ死に向かうのは人の道ではない。
一つ善いことをすれば、その善は自分のものとなる。 一つ有益なものを得れば、それは自分のものとなる。 一日努力すれば、一日の効果が得られる。 一年努力すれば、一年の効果がある。
大器をつくるには、いそぐべからずこと。