幸せであれ。 しかし決して満足するな。
好きなことだけにのめり込んではいけない。 他の分野へチャレンジできなくなってしまうからだ。 自分の好きなもの以外、見えないようにするのは馬鹿げたことだ。
逆風は嫌いではなく、ありがたい。 どんなことも、逆風がなければ次のステップにいけないから。
無限に発展する道はいくらでもある。 要はその道を探し出す努力である。
あきらめないことだ。 一度あきらめると習慣になる。
問題に阻まれてもそれが成長の機会だと思えるときは、それを乗り越えるための知識を身につけようとしているときなのです。
人生はすべて勝負だ。 勝負は闘志と努力がすべてだ。
人間の知恵というものは、しぼればいくらでも出てくるものである。 もうこれでおしまい。 もうこれでお手上げなどというものはない。
世界は粥で造られてはいない。 君等は怠けてぐずぐずするな。 固いものは噛まねばならない。 喉がつまるか消化するか、二つに一つだ。
この瞬間、瞬間に、若さとか、年よりとか、力があるないとか、才能とか、金とか、あらゆる条件を超えて、その持てるぎりぎりいっぱいの容量で挑み、生きるということだ。
腰を下ろして休むことは、絶対にすすめられない。
ぼくが奉公している時分に一人前になるためには、小便が赤くなるくらいにならないとあかんのや、そういうことを二、三べん経てこないことには、一人前の商売人になれんぞということを、親方から聞いた。 どういうことかというと、商売で、心配で心配でたまらん、もう明日にでも自殺しようかという所まで追い込まれたら、小便が赤くなるという。 そういうようなことをしてきて初めて一人前の商売人になる。 だから尋ねるんやが、あなた、儲からん儲からん言うけど、小便赤くなったことあるか?
ほんとうに正しいことのために戦ったのなら、負けても恥じることはない。
楽しんで失敗する方が、退屈しながら成功するよりいい。
真実の山では、登って無駄に終わることは決してない。
世に処するには、どんな難事に出逢っても臆病ではいけない。 「さあ、なにほどでも来い。おれの身体がねじれるならばねじってみろ」という料簡で事をさばいてゆくときは、難時が到来すればするほどおもしろ味がついてきて、物事は造作もなく落着してしまうものだ。
人間いくつになっても新たな道へ踏み出す時が来る。 それまでの苦労や人生体験はその時ための基本教育。
過去の成果で未来を生きることはできない。 人は一生何かを生み出し続けなければならない。
自分がどんなに努力しても、すぐに結果が出るとは限らない。 結果にこだわりすぎると安全な道を選び、進歩は止まってしまう。
すべての行動に制限を設けてしまえば、それはいつか仕事や人生にも波及してしまうだろう。 限界などない。 踊り場があるだけだ。 そこに居座ってはいけない。 それを越えて行くのだ。