48歳より前に悲観主義者になる者は物事を知りすぎ、 48歳を越えてもなお楽観主義者である者は物事を知らなすぎる
興味がなければ、何も面白くはない
多くの女性を愛した人間よりも、 たった一人の女性だけを愛した人間のほうが、 はるかに深く女というものを知っている。
青年は老人を阿呆だというが、 老人も青年を阿呆だと思っている。
なぜいつも遠くへばかりいこうとするのか? 見よ、よきものは身近にあるのを。ただ幸福のつかみかたを学べばよいのだ。 幸福はいつも目の前にあるのだ。
人生はそれを感ずる人間にとっては悲劇であり、考える人間にとっては喜劇である。
友情のための最大の努力は、 友人に我々の欠点を見せることではない。 彼に彼の欠点を悟らせることだ。
幸福になれるチャンスがいくらあったところで、 それを活用できる頭が無ければ、どうしようもない。
他の富めるをうらやまず、 身の貧しきを嘆かず、 ただ慎むは貪欲、 恐るべきは奢り。
醜い女はいない。 ただ、どうすればかわいく見えるかを知らない女はいる。
青春の時期は、いつの時代でも恥多く悩ましいものだ。 もう一度やれと言われてもお断りしたい。
私は反共国家の韓国でも南ベトナムでも、大勢の共産主義者に会った。 それは貧困という名の共産主義者である。
死は救いとは言いながら、そうは悟りきれぬものである。
人生の小さな不幸せは、 我々が大きな不幸を乗り越えていくのを助けてくれる。
愛する者と一緒に暮らすには一つの秘訣がいる。すなわち、相手を変えようとしないことだ。
真理を証するもの三つあり、すなわち天然と人と聖書。
人は、自然の悪を知ることを学んで死を軽蔑し、 社会の悪を知ることを学んで生を軽蔑する。
醜い女は我慢できるが、高慢な女は辛抱できない。
女は男よりも利口である。というのも、女は知ることは少なく、 理解することがより多いから。
恋の力は、身をもって恋を経験する時でなければわからない。