自分の命を愛しても憎んでもいけない。 だが生きている限りは命を大切にするがよい。 長く生きるか短命に終わるかは天に任せるがよい。
愛する人と共に過ごした数時間、数日もしくは数年を経験しない人は、 幸福とはいかなるものであるかを知らない。
貧困は、人生という海の砂州であり、冨は岩壁である。 幸福な人々は、その間をすり抜けて船を操っていく。
自分の全生命を女の愛というカードに賭けた男が、 このカードが殺された時、 がっくりとなって何事も手につかないほど放心してしまうようなら、 そんな人間は――男ではなく、ただのオスである。
金持ちでも貧乏人でも強い者でも弱い者でも、 遊んで暮らしている市民はみんな詐欺師だ。
幸福は遠くの未来にある限り光彩を放つが、つかまえてみると、もうなんでもない。 幸福を追っかけるなどは、言葉のうえ以外には不可能なことである。
男というものはいつでもそうだが、我が家から離れている時が一番陽気なものだ。
自己侮蔑という男子の病気には、 賢い女に愛されるのがもっとも確実な療法である。
金は天下のまわりものだ。いつもこちらをよけてまわるのが気にくわないが。
男は退屈から結婚し、女は好奇心から結婚する。そして双方とも失望する。
正しい結婚の基礎は相互の誤解にある。
一人の女しか愛さない男はしばしばもっとも幸福な生活を送るが 死ぬときはもっとも孤独な死にかたをする。
男が本当に好きなものは二つ。危険と遊びである。 そしてまた、男は女を愛するが、それは遊びのなかで最も危険なものであるからだ。
男はある女の愛人でありうるときには、その女の友人である事はない。
愛の舞台に上って馬鹿らしい役割を演じるのは、いつでも男だ。
あなたの内であれ外であれ、 あなたが見るものを変えることなど全く不要。 あなたが見るものを見る目だけを変えなさい。
男は自分の知っているたった一人の女、つまり自分の妻を通して、 女の世界全体をいい加減に判断している。
一生涯ひとりの異性を愛することは、 一本の蝋燭が生涯燃えることと同じである.
結婚の契約をしてからでなければ恋をしないというのは、 小説を終わりから読み始めるようなものである。
恋愛では信じてもらうことが必要であり、 友情では洞察してもらうことが必要である。