仮初にも人に振舞候は、料理第一の事なり。 何にても、其の主の勝手に入らずば、悪しき料理など出して、差当り虫気などあらば、気遣い千万ならん。
大事なのは義理の二字である。 死ぬべきに当たってその死をかえりみず、生きる道においてその命を全うし、主人に先立つ、これこそ武士の本意である。
信玄の兵法に、のちの勝ちを大切にするのは、国を多くとりたいという気持ちからである。 自分は国を取る考えはなく、のちの勝ちも考えない。 さしあたっての一戦に勝つことを心掛けている。
昔時の名将は、暑日に扇をとらず、寒日に衣をかさねず、雨の日に笠を用いずして、士卒への礼とす。
理性に重きを置けば、頭脳が主人になる。 だが、感情が支配するようになれば、決定を下すのは感性で、理性のたち入るすきはなくなる。
何かを生み出す行動でなければ、行動とは言えない。
我、神仏を尊びて、神仏を頼らず。
予測されるけれども目に見えない危険は、人の心を最もかき乱す。
観見二つのこと、観の目つよく、見の目よわく、遠き所を近く見、近き所を遠く見ること、それが兵法の要である。
人のまねをせずに、その身に応じ、武器は自分の使いやすいものでなければならぬ。
打ち込む態勢をつくるのが先で、剣はそれに従うものだ。
いつも前に出ることがよい。 そして戦のときでも先駆けるのだ。
いくら厳しい規則を作って、家臣に強制しても、大将がわがままな振る舞いをしていたのでは、規則などあってなきがごとしである。 人に規則を守らせるには、まず自身の言動を反省し、非があれば直ちに改める姿勢を強く持たねばならない。
必死に生きてこそ、その生涯は光を放つ。
自分のしたいことより、嫌なことを先にせよ。 この心構えさえあれば、道の途中で挫折したり、身を滅ぼしたりするようなことはないはずだ。
いくら考えても、どうにもならぬときは、四つ辻へ立って、杖の倒れたほうへ歩む。
風林火山 – 疾(と)きこと風の如く、 徐(しず)かなること林の如く、 侵掠(しんりゃく)すること火の如く、 動かざること山の如し。
もう一押しこそ慎重になれ。
もののふ(武士)というものは、出所進退を明らかにし、確乎として自己の意志を決した以上は、至誠もって一貫するのが、真の武士でまた武士道でもある。
今後は、一人働きは無用である。 足軽を預かっていながら独りよがりの行動をとれば、組の者は組頭をなくし、味方の勝利を失うことになるからだ。