我々は、我々の幸福を我々の外部、他人の評判のうちに求める。 他人はみな軽薄かつ不公平で、嫉妬、気まぐれ、 偏見に満ちていることを百も承知なのに、だ。
ほどほどに愛しなさい。長続きする恋はそういう恋だよ。
もっとも高度な文明においても、読書はやはり最大の喜びである。一度その満足を知った者は、不幸の中でもその満足を得る。
48歳より前に悲観主義者になる者は物事を知りすぎ、 48歳を越えてもなお楽観主義者である者は物事を知らなすぎる
興味がなければ、何も面白くはない
青年は老人を阿呆だというが、 老人も青年を阿呆だと思っている。
なぜいつも遠くへばかりいこうとするのか? 見よ、よきものは身近にあるのを。ただ幸福のつかみかたを学べばよいのだ。 幸福はいつも目の前にあるのだ。
幸福になれるチャンスがいくらあったところで、 それを活用できる頭が無ければ、どうしようもない。
醜い女はいない。 ただ、どうすればかわいく見えるかを知らない女はいる。
愛する者と一緒に暮らすには一つの秘訣がいる。すなわち、相手を変えようとしないことだ。
女は男よりも利口である。というのも、女は知ることは少なく、 理解することがより多いから。
あらゆる借金の中で人々は税金を一番払いたがらない。 これは政府に対するなんという諷刺であろうか。
誠実に君の時間を利用せよ! 何かを理解しようと思ったら、遠くを探すな。
「辛くて死にたい」というのは基本的には心の積載量オーバーなんですよ 重いものをトラックに載せすぎて壊れたらそれはドライバーの責任であってトラックの責任じゃない 何を言おうとしているのかというと 「心」っていうのは「私」と「私の体」が共有財産なんですね 自分では脳だけだと思うんですけど脳は全てボディと神経で繋がっていて案外ボディの方にも依存もしている 共有財産に過ぎないのに ついつい私たちは「心」というものを「自分の精神だけのもの」と思い込んでしまう だから、鉄分が不足したらイライラするだけなのに「イライラするのはあいつが何かしたからだ」って思っちゃうんですよ そうかもしれないけどもそれ以前に鉄分が不足しているだけって可能性もあるんですよ ここ忘れちゃうんですね 寝不足というのは無気力になりますしね 「心は精神的なものである」と同時に「物理的な存在でもある」 この物理的な存在というのをついつい僕らは忘れてしまうから根性論みたいなもので乗り越えようとしちゃうんです
「幸せって何だとお思いですか?」って皆さんに聞くと 「えっ? ”幸せ”は幸せでしょ」 分析したことがなくて、ただ漠然と「結婚します」「お幸せに」「幸せになってください」 幸せって一度手に入れると、固形物みたいにずっとなくならないものだと錯覚を起こしていらっしゃるの。 『青い鳥』っていうメーテルリンクの名作ありますね。あれは青い鳥は捕まえたら、消えていっちゃうんですよ。 幸せっていうのは ”充足感のこと” 満ち足りた想い。 だから幸せっていうものは長続きしないものなんですよ。 それをずっと手元に置いて長続きさせるにはどうしたら良いかって言うと、 感謝することを探せば良いんです。 感謝することに全部切り替えてゆけば、いつでもどこでも幸せになれる。 これが永久に続きますよ。 だから幸せを手元に置いてずっと「幸せでいられる」って言うのは 感謝すること それを探せば良いんです。
恋愛の誕生はあらゆる誕生と同じく「自然」の作品である。 愛の技術が介入するのはその後のことである。