困難な情勢になってはじめて誰が敵か、 誰が味方顔をしていたか、そして誰が本当の味方だったかわかるものだ。
目の見える人間は、見えるという幸福を知らずにいる。
真理は、我々が持っているもののうちで、もっとも価値あるものだ。 節約しようではないか。
友人の果たすべき役割は、間違っているときにも味方すること。 正しいときにはだれだって味方になってくれる。
人間は、自分が考えるほど不幸でもないし、それほど幸福でもない。
人は自分が幸福であることを知らないから不幸なのである。
真理をみる必要のない人々にとっては、人生はなんと気楽だろう。
死は孤独であるかもしれない。 しかし、生きているほど孤独であるはずがない。
もしある人が自分の不幸な出来事について話したら、 そこにはなにか楽しんでいるものがあると思って差し支えない。 なぜならば、本当にみじめさだけしかないとしたら、 その人はそんなことを口にしないだろうから。
私は不幸にも知っている。 時には嘘による外は語られぬ真実もあることを。
とにかくね、生きているのだからインチキをやっているのに違いないのさ。
僕は自分がなぜ生きていなければならないのか、 それが全然わからないのです。
この世界は、大勢の人に愛読される絵本のようなものである。 ページをめくって一つ一つの絵を楽しむが、原文の一行もみんな読みはしない。
純朴と純真な真実とは、いかなる時代においても時と場を得る。
男の顔は履歴書、女の顔は請求書だ。
人間は、 自分が他人より劣っているのは能力のためでなく、 運のせいだと思いたがるものだ。
近頃の若い者云々という中年以上の発言は、 おおむね青春に対する嫉妬の裏返しの表現である。
私は引用が嫌いだ。君の知っていることを話してくれ。
人間の細部において個別に判断するものこそ、もっとも真実を言い当てるだろう。
真実の文字は、「人間はこんなに不完全だ」からくる闘争を明らかにする。 われわれ人間は、悪事のできない天使でもないし、 高価な大望を抱くことのできない動物でもない。人間の闘争は続く。