人格は木のようなものであり評判はその影のようなものである。 影とは、我々が人の性格をどう思うかということであり、木こそが本物である。
今望んでいるものを手にして、何の得があろうか。 それは夢、瞬間の出来事、泡のように消えてしまう束の間の喜びでしかない。
おまえは、他人のなかにある自分と同じ欠点をむち打とうとするのか。
軍人の誇りとするものは、小児の玩具に似ている。 なぜ軍人は酒にも酔わずに、勲章を下げて歩かれるのであろう。
古人は神の前に懺悔した。 今人は社会の前に懺悔している。
わたしは良心を持っていない。 わたしの持っているのは神経ばかりである。
我々の生活に必要な思想は、三千年前に尽きたかもしれない。 我々は唯古い薪に、新しい炎を加えるだけであろう。
戸惑えば戸惑うほど、それは愛しているということなの。
真理は、見ることを拒まなければ、私たちの誰の魂の中にも明りを灯すでしょう。 その明りは、私たちの浅薄な才能、卑しい意地悪利己心、虚栄や嫉妬などを照らし出し、他人のなかにある良さを見せてくれます。
盲目であることは、悲しいことです。 けれど、目が見えるのに見ようとしないのは、もっと悲しいことです。
一見して人生には何の意味もない。 しかし一つの意味もないということはあり得ない。
世界で最も素晴らしく、最も美しいものは、目で見たり手で触れたりすることはできません。 それは、心で感じなければならないのです。
自分自身のことについて誠実でない人間は、他人から重んじられる資格はない。
自分自身の目で見、自分自身の心で感じる人は、とても少ない。
我々はみな真理のために闘っている。 だから孤独なのだ。 寂しいのだ。 しかし、だから強くなれるのだ。
女はなぜとか、何のためにとかいった理由なしに愛されることを望むものだ。 つまり、美しいからとか、善良であるとか、聡明であるとかいった理由によってではなく、彼女が彼女自身であるという理由によって愛されることを望むものだ。
男は子どものようなものだと心得ている限り、あなたはあらゆることに精通していることになるわ。
嘘つきに与えられる罰は、少なくとも彼が人から信じられなくなるということではない。 むしろ、彼が誰をも信じられなくなるということである。
人生とは孤独であることだ。 誰も他の人を知らない。 みんなひとりぼっちだ。 自分ひとりで歩かねばならない。
わたしは男のように考えるの。 女なのは外見だけ。