真面目とはね、君、真剣勝負の意味だよ。
神が存在しないならば私が神である。
左翼は主として無神論の問題である。 無神論に現代的な肉付けをした問題である。 地上から天に達するためではなく、天を地上へ引き下ろすために、神なくしてたてられたバビロンの塔だ。
君、弱い事を言ってはいけない。 僕も弱い男だが、弱いなりに死ぬまでやるのである。
のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、また鳴き暮らさなければ気が済まんと見える。 その上どこまでも登って行く、いつまでも登って行く。 雲雀はきっと雲の中で死ぬに相違ない。 登り詰めた揚句は、流れて雲に入って、漂うているうちに形は消えてなくなって、ただ声だけが空の裡に残るのかもしれない。
私は冷かな頭で新らしい事を口にするよりも、熱した舌で平凡な説を述べる方が生きていると信じています。
馬は走る。 花は咲く。 人は書く。 自分自身になりたいが為に。
考えてみると世間の大部分の人は悪くなることを奨励しているように思う。 悪くならなければ社会に成功はしないものと信じているらしい。 たまに正直な純粋な人を見ると、坊ちゃんだの小僧だのと難癖をつけて軽蔑する。
善とは何か。 後味の良いことだ。 悪とは何か。 後味の悪いことだ。
「これをやりにおれは生まれてきた」と思えることだけを考えていればよい。
汝の心に教えよ、心に学ぶな。
幸福は、己れ自ら作るものであって、それ以外の幸福はない。
愛とは、大勢の中からたった一人の男なり女なりを選んで、ほかの者を決して顧みないことです。
慈善は、それが犠牲である場合のみ慈善である。
他人より優れていることが高貴なのではない。 本当の高貴とは、過去の自分自身より優れていることにある。
強い人々は、いつも気取らない。
自分が多数派の側にいると気づいたら、もう意見を変えてもいいころだ。
自分ならできると思う。 あるいは自分にはできないと思う。 どちらも正しいの。
人間一人ひとりがもう少し「誇り高く」生きることが大切ではないでしょうか。 大きな花、豪華な姿で咲き誇る花を羨み、自らを卑下することなく、「小さきは小さく咲かん」という健気さとプライドを持って生きること。 それはまた、他人にもその人なりの、その人にしか咲かせることのできない花を咲かせようとする姿でもあります。
「要領よく」という考えは、人生を意義あるものにしてくれない。