恋は小鳥のように小枝に止まり、歌を聞かせて人をうっとりさせる。 そして、恋が、飛び立つ翼を持っていることを忘れさせる。
十人十色というからには、 心の数だけ恋の種類があってもいいんじゃないかしら。
人は自由を得たのち、いくらかの歳月を経過しないと、 自由を用いる方法を知らないものだ。
薔薇はなぜという理由もなく咲いている。薔 薇はただ咲くべく咲いている。 薔薇は自分自身を気にしない。人が見ているかどうかも問題にしない。
自分の人生がレールに乗せられて、ゴールが見えているのは嫌でした。 それよりも線路からヒョイと降りて、どこに行くかわからない人生の方が面白そうだと思った。
他人のために暮らすのはもうたくさんだ。 せめてこのわずかな余生をみずからのために生きようではないか。
自由は山嶺の空気に似ている。どちらも弱い者にはたえることはできない。
人間を自由にできるのは、人間の理性だけである。 人間の生活は、理性を失えば失うほどますます不自由になる。
個人の自由もつぎの点では制限されねばならない。 つまりかれは外の人達にたいして厄介なものになってはいけない。
全くの自由は必然的に頽廃(たいはい)を意味する。
二人の結婚は美しかった。なぜなら彼女は離婚する力を持っていたから。 二人の離婚もまた美しかった。なぜなら彼女は友達となれる心を持っていたから。
人間の一生のあらゆる行動のうちで、 結婚は他人に関係することの最も少なきものである。 だがそれはまた、あらゆる行動の中で他人に干渉されることの最も多きものである。
同棲するために結婚し、三人家族になるのを避けるために離婚する。
せっかく自由と独立を手に入れても、そんなに年をとってからではどうすればいいの?
世間一般の考えに従って生活することはごく易しい。 また、自分の事だけ考えて孤独の生活を送る事もごく易しい。 だが悟りを開いた人間とは、群集の真っ只中にありながらも、 自立の醍醐味を心ゆくまで味わうことのできる人間である。
分別を忘れないような恋は、そもそも恋ではない。
生きる喜びとは主役を演じることを意味しない。
私は私の意見を述べる。それがよい意見だからではなく、私自身の意見だからだ
吾人は自由を欲して自由を得た。自由を得た結果、不自由を感じて困っている。
人間の自由を奪うものは、悪法よりも暴君よりも、実に社会の習慣である。