善く敵に勝つものは争わず。
いい手本を示そうとする者は、自分の徳に微量の馬鹿げたところを添えなくてはならぬ。 すると人は見習って、同時にその模範を眼下に見下ろす。 – これが人々の好むところである。
自分の力の足りなさを自覚し、知恵や力を貸してくれる他人の存在を知るのもいい経験である。
キャンプでいろいろと試すことは、ムダではありません。 ムダなことを考えて、ムダなことをしないと、伸びません。
進化するときっていうのは、カタチはあんまり変わらない。 だけど、見えないところが変わっている。 それがほんとの進化じゃないですかね。
私は若い社員に、相手の人の心を理解する人間になってくれと話す。 それが哲学だ。
友を得るには、相手の関心を引こうとするよりも、相手に純粋な関心を寄せることだ。
人類の歴史の中で本当に強い人間などいない。 いるのは弱さに甘んじている人間と、強くなろうと努力している人間だけだ。
長いこと考え込んでいる者が、いつも最善のものを選ぶわけではない。
ようやく戦乱も収まって平和になった。 よって維新の精神を貫徹することにするが、それには30年の時期が要る。 それを仮に三分割すると、明治元年から10年までの第一期は戦乱が多く創業の時期であった。 明治11年から20年までの第二期は内治を整え、民産を興す即ち建設の時期で、私はこの時まで内務の職に尽くしたい。 明治21年から30年までの第三期は後進の賢者に譲り、発展を待つ時期だ。
愚者と賢者はともに害がない。 半端な愚者と半端な賢者が、いちばん危険なのである。
少しずつ前に進んでいるという感覚は、人間としてすごく大事。
美と女らしさは年齢と関係がないものだし、作ろうとして作れるものではないと思うの。 そして、魅力は、こんなことを言うと、その専門の人たちは困るでしょうけれど、人為的に作りだせるようなものではないと思うの。
あなたが転んでしまったことに関心はない。そこから立ち上がることに関心があるのだ。
恋を得たことのない人は不幸である。 それにもまして、恋を失ったことのない人はもっと不幸である。
失敗が人間を成長させると、私は考えている。 失敗のない人なんて、本当に気の毒に思う。
はじめはとても難しいことも、続けていけば簡単になります。
自己を過大評価した瞬間から、思考の硬直が始まる。
相手は間違っているかもしれないが、彼自身は自分が間違っているとは決して思っていない。 だから、相手を非難しても始まらない。
人間は精神が拡がるときと、とじこもるときが必ずある。 強烈にとじこもりがちな人ほど逆にひろがるときがくる。