人は、他人と違っているのと同じくらい自分自身とも違っている時がある。
大多数の若者は、そのぶしつけと無作法を、 天真爛漫のつもりでいる。
人の心を暴き出すような格言に対して非難が集中するのは、自分の姿がそこに暴き出されるのが怖ろしいからなのだ。
女性が鏡に映して自分を見るのは、自分の姿を見るためでなく、 自分がどんなふうに他人に見られるかを確かめるためだ。
恋する者には、恋の相手がいつもひとりぽっちのように見える。
恋愛は恋愛によって始まる。 従っていかに強い友情からも弱い恋にしか移行できない。
よい結婚はあるけれども、楽しい結婚はめったにない。
長い歴史の中で男は権力、女は美貌。 それが売りになって生きてきた長い歴史があるんだもん。 男の最大の武器は権力でありお金よ。女の最大の武器は美貌よ。 それを持ってれば社会的に強いと言われた時代があまりにも長すぎるからどうこうならないよね直ぐには。 だから金と権力の無い親父は騒ぐなってことよ。
「辛くて死にたい」というのは基本的には心の積載量オーバーなんですよ 重いものをトラックに載せすぎて壊れたらそれはドライバーの責任であってトラックの責任じゃない 何を言おうとしているのかというと 「心」っていうのは「私」と「私の体」が共有財産なんですね 自分では脳だけだと思うんですけど脳は全てボディと神経で繋がっていて案外ボディの方にも依存もしている 共有財産に過ぎないのに ついつい私たちは「心」というものを「自分の精神だけのもの」と思い込んでしまう だから、鉄分が不足したらイライラするだけなのに「イライラするのはあいつが何かしたからだ」って思っちゃうんですよ そうかもしれないけどもそれ以前に鉄分が不足しているだけって可能性もあるんですよ ここ忘れちゃうんですね 寝不足というのは無気力になりますしね 「心は精神的なものである」と同時に「物理的な存在でもある」 この物理的な存在というのをついつい僕らは忘れてしまうから根性論みたいなもので乗り越えようとしちゃうんです
快楽の対象とされていないのは、愛されている女性である。
安定は恋を殺し、不安は恋をかきたてる。
全ての偉大な恋愛のうちには母性愛がある。 真の女らしい女たちが男の力を愛するのは、男の弱さを知っているからである。
恋愛の十分の九は愛する側にあって、 その十分の一が愛されている対象の側にある。