女は計算が大好きだ。 自分の年齢を二で割り、自分のドレスの値段を倍にし、 夫の給料を三倍に言い、一番の女友達の年齢にいつも五を足すのである。
女は自分の美点のために愛されることにときとして同意するが、 常に好むのは、自分の欠点のために愛してくれる人のほうだ。
恋の力は、身をもって恋を経験する時でなければわからない。
なぜ美人はいつもつまらぬ男と結婚するのだろう。 賢い男は美人と結婚しないからだ。
女と車の運転は似ている。いずれは衝突する。
男というものは、女房が小難しいことを喋っているときより、 自分の食卓にうまい料理があるときのほうがもっと嬉しいものである。
雨は一人だけに降り注ぐわけではない。
私自身の一部分は恐怖と困惑ともって死をながめ、 他の一部分はまず好奇心から、 とりわけ美と愛が充実して現われるのをみたいとの渇望から、 死を望んでいる。
私たちは死の心配によって生を乱し、 生の心配によって死を乱している。
あらゆる借金の中で人々は税金を一番払いたがらない。 これは政府に対するなんという諷刺であろうか。
神が同棲を発明した。悪魔は結婚を発明した。
もしあなたが約束の時間より早く着いたら、あなたは心配性である。 もし遅れてきたら挑発家、 時間どうりに来れば強迫観念の持ち主。 もし来なかったら、知恵遅れという事になる。
人間は、死ぬことを密かに望んだので戦争をしたのである。 自己保存の要求は極めて深いものかもしれないが、死への欲情はさらに深い。