人生は一場の芝居だというが、芝居と違う点が大きくある。 芝居の役者の場合は、舞台は他人が作ってくれる。 なまの人生は、自分で自分のがらに適う舞台をこつこつ作って、そのうえで芝居をするのだ。 他人が舞台を作ってくれやせぬ。
たゆまず、休みなき努力によってこそ、「信念」は「豊かでゆるぎなき体験」に変わるのです。
目的を忘れることは、愚かな人間にもっともありがちなことだ。
何かを学ぶためには、自分で体験する以上にいい方法はない。
世界は粥で造られてはいない。 君等は怠けてぐずぐずするな。 固いものは噛まねばならない。 喉がつまるか消化するか、二つに一つだ。
いつかは目標に通じる歩みを一歩一歩と運んでいくのでは足りない。 その一歩一歩が目標なのだし、一歩そのものが価値あるものでなければならないよ。
普通の努力では、チャンスをチャンスと見極められない。 熱心の上に熱心であることが見極める眼を開く。
小利口に儲けることを考えたらあきません。 世の中にぼろいことはないから、結局流した汗水の量に比例して、成功するわけですわ。 汗もかかずして、成功するということもたまにはありますけど、それはきわめて僥倖な人で、普通はない。
たとえ小さな斧でも、数百度これを打てば堅い樫の木も切り倒せる。
桃栗三年柿八年 だるまは九年 俺は一生
いったん選んだ道に関して頑張る人は多い。 目標に関してそうする人は少ない。
選択するということは優先度をつけることであり、エネルギーの分散を極力避けることである。
この瞬間、瞬間に、若さとか、年よりとか、力があるないとか、才能とか、金とか、あらゆる条件を超えて、その持てるぎりぎりいっぱいの容量で挑み、生きるということだ。
腰を下ろして休むことは、絶対にすすめられない。
ぼくが奉公している時分に一人前になるためには、小便が赤くなるくらいにならないとあかんのや、そういうことを二、三べん経てこないことには、一人前の商売人になれんぞということを、親方から聞いた。 どういうことかというと、商売で、心配で心配でたまらん、もう明日にでも自殺しようかという所まで追い込まれたら、小便が赤くなるという。 そういうようなことをしてきて初めて一人前の商売人になる。 だから尋ねるんやが、あなた、儲からん儲からん言うけど、小便赤くなったことあるか?
ほんとうに正しいことのために戦ったのなら、負けても恥じることはない。
楽しんで失敗する方が、退屈しながら成功するよりいい。
真実の山では、登って無駄に終わることは決してない。
私たちのつとめは成功ではない。 失敗にも負けずさらに進むことである。
そのせいで落ち込んでしまうぐらいなら、不満の種を捨てちゃえばいいのよ。