女には大きな人道の立場から来る愛情よりも、多少義理をはずれても自分だけに集注される親切を嬉しがる性質が、男よりも強いように思われます。
他人があなたのためにできることは、決して自分でしないこと。
馬は走る。 花は咲く。 人は書く。 自分自身になりたいが為に。
考えてみると世間の大部分の人は悪くなることを奨励しているように思う。 悪くならなければ社会に成功はしないものと信じているらしい。 たまに正直な純粋な人を見ると、坊ちゃんだの小僧だのと難癖をつけて軽蔑する。
君は山を呼び寄せる男だ。 呼び寄せて来ないと怒る男だ。 地団駄を踏んでくやしがる男だ。 そうして山を悪く批判する事だけを考える男だ。 なぜ山の方へ歩いて行かない。
善とは何か。 後味の良いことだ。 悪とは何か。 後味の悪いことだ。
何と多くの人が財布の中身を考え、他人の思惑を考え、家庭を考えて、つまらない人生に甘んじてしまうことか。 くよくよ考える人間は、はじめから運に見放されており、勇気なんて滑稽にしか思えず、才能があっても活用されずに終わるのだろう。 挙げ句のはては、不平不満の虜になるのがオチである。
自分の弱点をさらけ出さずに人から利益を受けられない。 自分の弱点をさらけ出さずに人に利益を与えられない。
「これをやりにおれは生まれてきた」と思えることだけを考えていればよい。
愛されないということは不運であり、愛さないということは不幸である。
僕の後ろを歩かないでくれ。 僕は導かないかもしれない。 僕の前を歩かないでくれ。 僕はついていかないかもしれない。 ただ僕と一緒に歩いて、友達でいてほしい。
わざわざ人の嫌がるようなことを云ったり、したりするんです。 そうでもしなければ僕の存在を人に認めさせる事が出来ないんです。 僕は無能です。 仕方がないからせめて人に嫌われてでもみようと思うのです。
男はしばしば一人になりたいと思う。 女も一人になりたいと思う。 そしてその二人が愛し合っているときは、そういう思いを互いに嫉妬するものだ。
汝の心に教えよ、心に学ぶな。
わたしたちは踏みなれた生活の軌道から放りだされると、もうだめだ、と思います。 が、実際はそこに、ようやく新しいものが始まるのです。 生命のある間は幸福があります。
たいていの男は意気地なしね、いざとなると。
幸福は、己れ自ら作るものであって、それ以外の幸福はない。
愛とは、大勢の中からたった一人の男なり女なりを選んで、ほかの者を決して顧みないことです。
心の底からやりたいと思わないなら、やめておけ。
悔恨がないのは、前進がないからである。